Gin Johannes Studio
建築家 ジン・ヨハネスの『いちごの(フレイバー)カフェ』
京都にできたリチャード・ロジャースの新風館について。
ここ新風館は私がAA時代に在籍していたリチャード・ロジャースが手掛けた物件で、ロジャースが京都の都市を変えてしまったと言ってもいい。昨日の京都精華のJuryでそうSCI-ARCの人々に言ったことが今日になっても頭の中に残っていて、けじめとして、空間を確かめながらテラス寄りの席にいる。都市のコンテクストの読み込みが重要なのか、はたまた自分のコンテクストを創っちまっていいのかという点において、特にSCI-ARCのアプローチは欧米独特のサイトこだわりタイプにはまってしまって展開に苦しんでいるともとれた。しかしそこでこのロジャースに関して言えば、プレモダンのリノベーションプランを残しつつも、ロジャースが付加したモダンブリティッシュのコートヤードは完全にイギリスのポスト植民地様式で、「持ち込んで」来ている。(日本で建てられた過去の事例においては完全に持ち込みきれてなかったのだが。)しかもロジャースの一番初期のケバくなってない工業パーツのジョイントで、若いロジャースを誰もが思い起こすという、ここ20数年の進化を回想してしまいかえってノスタルジックになってしまうほど、その感覚を建築が含んでしまっていて涙もの。その意味で昨日SCI-ARCに言った『都市のレイアー』と言ったのは以前の薄っぺらいダイアグラム上のそれとは今は違い、もっと質的に変えられる都市に絡まった触媒として、メディアの時代にあった容態をなしている。コートヤードから京都の都市全体に拡散していくかなり有機的触媒だ。私がこのように感じるそもそもの理由は、「ロジャースが同じ質の物を創ってしまったから」と言うことに起因する。同じ質の物を創ってしまったから、かえって2都市間の差異を浮き彫りにしてしまったと。つまりロジャースが中途半端でしっかり同じ質の物を創ってくんないと都市間の差異が読み切れないままになってかえって混乱してしまう。今回はちゃんとやってくれたために、問題がはっきり見えてきた。つまり個人レベルで言えば、町家に泊まって畳間から起き上がって、町家の路地を歩いていって辿り着いたハイテクと言うのは、ハイテクがハイテクであっていいのかと言う問いのほかに、京都はこれでいいのかと言う、広がりを持ったうねりの触媒として都市全体にレイアーとなって問題提起しているのだ。
ノーマン・フォスターのオフィス・ビルとロンドンのクリスマス。
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