Gin Johannes Studio

建築家 ジン・ヨハネスの『フューチャー・フルーツ・ファーム』


3. Cafe Magazine


ロン・ヘロンの亡霊(社会主義者の追憶)
ジン・ヨハネス 1997.3.24

3年前にもなるのか。私はロンドンのAAスクールで師事していたロン・ヘロンの葬儀にビデオをもって参上した。葬儀にもかかわらずジーンズ姿等、皆さまざまな格好だった。ほとんどが残されたアーキグラム、友人、教え子達で構成された。欧米の葬儀は身体を焼かない! キリスト教においては『復活の日』に再び地上に蘇るという聖書の記述を追体験しようとする。その日、そんな生身の身体のままロンの棺が幽霊と錯覚するぐらい近距離で安置され、その傍らでピーター・クックが回想の辞を述べる小さな集会が行われた。私は同僚のハイテク・インド人達と苺味の宇宙食を食べていた。カトリックのイースターの『教会のシンボル入りウエハス』よりは断然ましだ! ネクタイをしていたのはバルフォア(当時学長)だけだ!? 

晩年の日本の「富山まちのかお」で、『なぜロンのディテールを無視したのか。』という失態。彼は社会主義者なのだから、絶対権力者の下位システムとして全ての日本人が彼に仕えるか、彼の発言が社会的粘膜によって自動的に形成されていくか、その思想に追い付くべきだ! しかし現実は六角鬼丈の『よかちん』!?(芸大の伝統的舞踏。これを富山でも披露した説がある。)である。イギリス社会主義理念と日本土着的民族現代舞踏はあまりに対極ではなかったか?これが理由でロンは死んだ!?という噂もあるほどだが真相は六角氏しか今となっては語れない・・・。 

話は変わって彼の死の直後、イギリス新聞4ー5社の報道を入手したのだが、『アーキグラムは日本へ派生し開花した。』という一方的な評論報道に対して、『果たしてそうだろうか?』と私は思う。日本の家電製品のチープ・アンド・グッドデザインを『バウハウスだ。』と言い切れる欧米特有の武骨さと同質だと思うが、カプセル・ホテルやユニット・バスは実際派生(模倣)したとしても、回転寿司までが彼等の影響だとは言えないだろう。しかし翌々考えて見ると、社会主義アーキグラムとは、『思想的にある方向性を示すことで、後は連鎖して変遷する事象』という記号としても存在している。つまり『ドローイングだけか!実現するのか?』というレベルではなく、遥かにそれ以上が既に欧米では評価されていることに気付くべきだ。そうでないと国際的視野で日本はアーキグラムだと認識されている指摘に我々自身が無頓着となる。CIAマーケッティングの日本人論に依然関与できない日本人・・・。それがいい! 

最後に作品の詳細について述べる。アーキグラム巡回展での追加出品の動向を観よ! Walking Cityは、実は『間仕切り無し2LDKユニット』構成だった? Instant Cityは、実はドローイングだけでは無かった。ルーの飛行船構造模型を観よ! Living Podの移動家具はシステム・キッチンではなく、自動調理ロボだった! Logplug and Rokplugの、『樹木の切り株にネットワーク(インターネット)・プラグ端末埋め込み』の原寸模型の出現 は、もはやLiving Podを超えた! 

そんなウイーンの巡回展オープニング会場で歓喜するロンを、私は観ていた。より鮮明なハイパー・フューチャー、それが実現されたのを認識した。次々と放出されたドローイングはマルチ・ウィンドウのようだ。まさかマルチ・メディアの予告さえもアーキグラムという記号は含むというのか?マルチ・メディアで民主主義も社会主義も変革してしまえ! 振り返るとロンだけがいない。


Cover of booklet: 1980 AA Publication
Essay: SD 海外建築情報 1997 5月号

<上>ロンのインスタント・シティー1970年(ドローイングのみ)を当時同じユニットだった同窓生のRoo Lo Ramが模型化したもの。1992年のイーストに移転したヘロン・アソシエイツにて。
<中>ガスケット・ホームのエレベ1965年。3LDKのゆとりのあるカプセル。リビングに「くぼみ」があるモジュールであることに注目。
<下>デイビット・グリーンのアーキグラム期、最終作品”Rokplug,Logplug”1969年(ドローイングのみ)。それを更にむりやり1:1の原寸模型化したもの、1992年。デイビット本人による。

*これらの1992年に創られた模型は、その後ウィーンから始まりパリのポンピドゥーセンターのアーキグラム展のために製作された近年のスタッフ達による、90年代に新たに加えられた手の痕跡が見え、その意味で60年代のドローイング作品群とは切り離して語られるべき90年代の時代表現を取り入れた注目すべき作品群である!

2002年には、アーキグラムが本国イギリスでRIBAのゴールドメダルを受賞したのも、彼らの影響力と単純には言い切れない、新作の影響力と現代社会を突いてくる、突き上げのインパクトが今もあるからだと、俺は分析するけどな。


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